12月17日、静岡大教育学部准教授、渋江かさね先生をお招きし、講座「社会教育的な視点で考える。日本語教師の仕事理解」を実施しました。今回初めて「成人教育」それから、それに従事する人材の「仕事理解」という視点に焦点を当てた内容でした。

日々の活動から、フィリピノナガイサの取組は日本語教育というよりも、社会教育というように、もう少し広い枠で捉えたほうがしっくり来るところがあったのですが、渋江先生から、その根拠となる内容をお聞きできました。

そもそも社会教育とは、社会の中にある教育であり、生活の中にある教育であること。学習の主体では国家ではなく国民であるということが背景にあること。

学びを通して学び合い、人々につながりが生まれて、そのことが「地域づくり」に発展していくものであること。

だけれども、NPO団体等は社会教育に関わっていてもそのように自らを認識していない可能性があるというお話は大変興味深いことでした。「教育」は「上から下へ教える」というように感じることから、あえて社会教育という専門性へ組み込まれることを拒むケースもあるのだとか。けれども、立場の弱い人々の教育を受ける権利・学習権の保障をしてきたのは社会教育という形で民間が担ってきたという歴史があるのだということでした。

さらに大事なことは、支援が必要とされている人々と「一緒に学ぶ」ということにはどんな意味があるのか?このことを客観的に、言語化して考えて進むこと。対人援助職と言われる人たちは、実践を通して専門職として成長しているところがあるというお話もしていただきました。たくさんお話いただいた中でも、この部分は本講座の肝だったように思います。

地域の日本語教室には実にいろいろな背景の方々がお見えです。日本語教師が生活相談に応じることも多々あります。その意味ではこうしたことに従事する日本語教師は対人援助職と言っても過言ではありません。

渋江先生のご講義により、受講者の皆様が各地でご自身のこれまでの取組を振り返る機会となりましたら幸いです。